清き流れを光浴びて・・・

夏真っ盛り、ぎらぎらと輝く太陽。
その日、気温は37度を超えた。


「暑い!」
ミッターマイヤーの、声変わりしたばかりの声が寄宿舎中に響く。
「よくこんなところで我慢できるね」
「暑いのは仕方ない。夏だからな」
「・・・こんな時にも涼しげな顔しちゃって・・・」
いつもと変わらぬ表情で本を読んでいるロイエンタールに、ミッターマイヤーはふくれてみせる。
「・・・ねえ。泳ぎに行こうよ」
「いやだ」
「行こう行こう行こう!」
「いやだ」
「どうしてさ!」
「暑くないからだ」
「おれは暑いの!」
「部屋の中はエアコンディショニングがきいている。じっとしていれば暑くない」
「でもおれは、泳ぎに行きたいの!」
「じゃあ、ひとりで行け」
「オスカーと一緒でなきゃ、いやだ」
「・・・どうしてそうわがままなんだ?」
読みかけの本を下に置いて、ロイエンタールが言う。
このままでは、しつこく話しかけるミッターマイヤーの方が暑苦しい。
「プールくらい、ひとりで行け」
「プールじゃないよ」
「・・・・・・」
ロイエンタールは、驚いた表情を見せる。
「プールで泳がないのか?」
「・・・オスカー、プール以外で泳いだことないの?」
「海には行ったことがある」
「そうじゃなくて、泉とか、川とか・・・」
「あんな汚いところで泳ぐのか?」
ロイエンタールは、ミッターマイヤーを宇宙人でも見るような目で見つめる。
ミッターマイヤーは唖然として言う。
「オーディンの郊外に、天然のプールとかあるでしょ?」
「天然プール?なんだ、それは」
「知らないの?行ったことないの?」
「ない」
ああ、とミッターマイヤーは思う。この人は、貴族なのだ、と。
きっと家にはプールつきの庭があって・・・それとも、会員制のプールだろうか?
自分のように、夏になればランニング一つで外に飛び出し、野外で真っ黒になるまで遊んだ記憶があるのだろうか?

「ねえ、オスカー」
「なんだ?」
「・・・おれの家のそばに、泉を利用した天然のプールがあるんだ・・・いかない?」
さっきまでとは違う、ちょっと真剣に頼むようなミッターマイヤーの声。
「おれ、小さいとき、そこでいつも泳いでいたんだ。一緒に行かない?」
「・・・お前は、本当に、自分の経験をおれに押しつけようとするな」
「いけない?」
「いや・・・なぜだ?」
「だって、思い出は一緒にできた方が嬉しいでしょ?」
そう言うと、ミッターマイヤーはにっこりと笑う。
「だから、おれ、オスカーと一緒の思い出がたくさんほしい」
「・・・仕方ないな」
ロイエンタールは苦笑する。
「すぐ行くか?」
「うん!」
ミッターマイヤーはにっこり笑って、立ち上がる。
「おれの家、近いんだ、すぐに着くよ」

30分ほどトロリーバスに揺られ、二人はミッターマイヤーの実家がある町へと着く。
同じオーディンだというのに、ロイエンタールの屋敷のあたりとはまるで違う光景。
小さい、箱庭のような家。
もう長い間そのままなのか、舗装がはげてきている道。
そして、笑顔で挨拶を交わす人々。

「家に寄っていくのか?」
「いいや。このまま泉に行こう」
「家には行かなくてもいいのか?」
「いいよ。どうせ、士官学校に行ったことをまだ反対されてるし、けんかになるだけだし」
「それでも少し寄っていった方がいいのではないか?」
ロイエンタールは、彼らしからぬことを言う。

ミッターマイヤーの生まれ、育った町は、暖かい。
きっとミッターマイヤーの愛すべき性格は、この町がはぐくみ、育てたのだろう。
そして、きっと両親も・・・。

両親に、そして、町に、愛されて育った少年。

「おれに遠慮しなくてもいいんだぞ」
ロイエンタールは、小さくつぶやく。
そのつぶやきが聞こえたのか、ミッターマイヤーが笑って言う。
「遠慮なんかしてないよ。今更、遠慮する仲でもなし」
「そうだな」
「・・・・・・そうだ、なら今度、一緒におれの家に行こうよ」
「お前の家に?」
「うん、きっと父さんも母さんも喜ぶよ。おれ、まだ士官学校の友達連れて帰ったことがないから」
「そうだな・・・機会があれば」
「うん!じゃあ、次の休暇の予定は決まりだな」
そう言うと、ミッターマイヤーはにこりと笑う。
・・・これはもしかしたら、計画的かな?とロイエンタールは考える。
どうやら自分もミッターマイヤーの家に訪問することになりそうだ・・・。

それはさておき。

目的地である天然プールは、町のはずれにあった。
一目見たとき、ロイエンタールの表情が何とも言えないものになる。
「・・・ウォルフ」
「なあに?」
「これが、プールか?」
「ああ、そうだよ」
・・・そこにあったのは、周りを石垣で囲っただけの“池”。
少なくともロイエンタールには、そうとしか見えなかった。

「シャワーは?」
「そんなのないよ」
「更衣室は?」
「ああ、あそこ」
「・・・あれは、掘っ立て小屋ではなかったのか?」
「あれでもよくなった方だよ。おれが小さいときはなんにもなかったから」
「・・・そうか?」
「うん」
屈託なく返事をするミッターマイヤーに、ロイエンタールも笑いを返す。
いささか苦笑気味ではあったが・・・。

「泳ごう!」
「あ、ああ・・・」
ミッターマイヤーは、後に“疾風”と評される俊敏さで、泉へと飛び込む。
・・・いつの間にか水着に着替えている。
「あいつ、士官学校から着てきたな」
まったく、とつぶやくと、ロイエンタールも着替える。
・・・一応“更衣室”だと指摘された掘っ立て小屋の中で。


泉に向かうと、ミッターマイヤーはすでに水の中。
ロイエンタールは少し足をつけてみる・・・泉の水は、冷たい。
「夏は冷たく、冬は暖かく。泉の水はそうなんだ」
ロイエンタールの、その表情の変化に気がついたのか、ミッターマイヤーが笑いながら言う。
「ほら、早く入ってこいよ」
「あ、ああ」
恐る恐る身体を泉に沈めていく・・・。
「怖いのか?」
「・・・いや」
「正直に言えよ」
「・・・・・・」

正直言って、水が澄んでいるとはいえ、こうもなにもないところで泳ぐのは少々抵抗があるロイエンタールである。
何しろ自然が相手だ。
なにが出てくるかわからない・・・。

それでも足を水に浸していると、身体が心からすーっとしてくる。
冷たい水が心地よい。
「気持ちいいな」
ロイエンタールがそうつぶやくと、ミッターマイヤーが「そうだろう?」という顔をする。
「気持ちいいだろう?」
「・・・少し、流れている」
「ああ、オスカーの足下に、水源がある・・・ほら、水がわき出ているんだ」
「何か、くすぐったいぞ」
「え?・・・ああ、オスカー、ほら、魚だ!魚がオスカーにキスしてるよ」
言われて水の中を見ると・・・魚が足下を泳いでいる。
「すごいな」
「だろう?おれ、小さいときからここでいつも泳いでいたんだ」
「ほう」
「だから、学校に上がって、プールで泳ぐだろう?それがすごく不安だった」
「不安?」
不思議なことを言う、とロイエンタールは思う。
不安といえば、こちらのほうが不安だろうに。
・・・底が見えない、どこかに深みが隠れているかもしれない。
なにが出てくるかわからない、泉。
しかし、ミッターマイヤーは、真剣な顔で話す。
「うん・・・プールって、人工の壁に囲まれていて、息苦しいよ。水もよどんでいるし」
「よどんでいる?」
「あそこの水は死んでいるよ・・・だから、怖かったんだ」
おもしろいことを言う、だが、こいつらしい。
・・・ロイエンタールは、自然と笑みを浮かべる。

「だから、小学校に上がってからは毎日町のプールに通った。
悔しいだろう?プールなんか怖がっていると、みんなにばかにされそうでさ。
・・・おかげで水泳は得意種目になったんだ」
「お前らしいな」
「なにが?」
「見栄っ張りの、負けず嫌い」
「なんだよ、それ」
「なんでもない」
そう言いながら、ロイエンタールは後輩の蜂蜜色の髪をくしゃ、とかき回す。
「もう!子ども扱いするなよ」
そう言うと、ミッターマイヤーはロイエンタールの手を払い、すいすいと泳ぎ出す。
「こっちこいよ!オスカー。ここ、深いんだ。もぐりっこしないか?」
「もぐりっこね・・・ガキ」
小さくロイエンタールがつぶやく。
「ん?なんか言った?」
ミッターマイヤーが小首をかしげて聞く。
「いや、なにも」


やがて夕日が泉を赤く染めるまで、二人は水と戯れていた。


「遅くなったね・・・ごめん」
ミッターマイヤーが、しかし、言葉とは裏腹に、あまりすまなそうではない表情で言う。
「いや、かまわん。楽しかった」
「本当に?」
「ああ」
「よかった」
ミッターマイヤーは、今度はにっこりと笑う。
ロイエンタールは、ミッターマイヤーの蜂蜜色の髪をそっと梳く。
・・・行こうか、とロイエンタールの手をそっと払い、ミッターマイヤーが言う。
ああ、とロイエンタールが言う。


泉のすんだ美しい水と、足下を泳ぐ小さな魚と、屈託のないミッターマイヤーと。
ロイエンタールは、その光景を、その後いつまでも覚えていた。

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家から車で15分ほど行ったところに、わき水を利用した天然プールがあります。
人工のプールしか知らない子どもはびっくりするぐらい、自然に満ちたプールです。

15151キリリク、水辺の涼しげな双璧・・・のつもりですが、いかがでしょうか?
あまり涼しげではないかもしれませんが。
ミッタと一緒に、小さいころ作れなかった思い出をたくさん作ってほしいというのは、
他の作品にも共通する、ロイエンタールへの管理人の願いです。